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NO. 252

新渡戸稲造の「修養」

平成29年8月

 5千円札の肖像に選らばれている新渡戸稲造は、西暦1900年(明治33年)にアメリカで「Bushidou、the Soul of Japan(武士道)」を出版し、その後、明治44年に「修養」という本を出しています。「修養」は、新渡戸が、当時の若者への励ましの言葉として出版しています。今から100年以上も前の本ですが、最近、読みやすい文章に修正されました(角川文庫)。

  「子供らしきははたして悪いか」という、項目がありました。小児科医として、毎日、子どもたちからエネルギーもらい、子どもたちと遊びながら診療を行っています。そして、未だに「おとならしく」なれなくて困っています。その中で「子供らしきははたして悪いか」です。嬉しくなり、その一部を紹介します。

 【孟子は「大人(だいじん)はその赤子(せきし)の心を失わざる者なり」というている。いわゆる赤子のこころとは純一(じゅんいつ)にして偽りのない、子供らしいことである。昔から偉人とか、英雄とかいわるる人には、常に単純な、子供のような、心があって、それがいろいろの働きの基(もと)となっていたいようである・・・。子供らしきは貴(とうと)むべくかつ永に保ちたいことである。・・・無知識の足らぬので、無邪気なことを意味しておる。この意味における子供らしさは、すなわち青年の特徴である。狡猾(わるがしこ)いところがない。ゆえに青年というのは無邪気で世間の悪いことを知らぬことの意味である。】

 もう一つ、「老若は為すべき事業の多少でさだまる」も紹介いたします。

 【前途に多くの理想を懐(いだ)いていることは、青年の特徴である。・・・顧(かえり)みて「我かくかくの成功せり」などと思うのは、そろそろ年をとる兆候である。「百里に行く者は九十里に半ばす」というが、その九十里に達すれば、眼前に横たわる道が、さらに殖(ふ)えて百八十里にもなる、すなわち希望と理想が殖えてくる。】

 「修養」が出版された明治44年に、105歳で亡くなられた日野原重明先生が生まれています。先生の顔は、無邪気で狡猾なところがなく、赤子の心を持ってられます。そして、最後まで青年として、まだまだ、成したい夢があったのではと思います。

 いつまでも「子供らしく」、狡猾でなく単純あり、夢をもって「青年の特徴」を忘れないでいたいものです。(おじいちゃん、おばあちゃんへの「今日も元気で」でした。)

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